悩んだ時の、魔法の言葉

2012.11.03 Saturday 07:49
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      朝夕がめっきり寒くなってまいりました。そろそろ年賀状も発売される時期になり、何となく慌ただしく感じられるようになってまいります。
     
      さて、私たちは日々の暮らしの中で、ふと「このままでいいのだろうか」と考えることはないでしょうか。自分の人生に明確な目標もなく、ただ時間の流れにまかせて過ごしている。特に専業主婦の場合、子育ても一段落し、特に何をするのでもなく毎日を過ごしてることが、むなしく感じてしまう。

     昔のように、第一線で働いていた自分を思い出し、「夫と離婚して、かつてのキラキラ輝いていた自分を取り戻せば、こんな虚しさを感じることもないだろうに…」と、離婚に踏み切る方も多いようです。子どもの事を考えれば、我慢すべきだとは思いますが、そんな人生は不幸だと考えてしまうようです。
     
     しかし本当にそうでしょうか?答えは「NO」です。不幸だと“思う”と言うように、幸せも不幸も、手にとって確かめられる様な実体があるわけではなく、“思う”によって決まるのです。
     お釈迦様は、「知足の人は地上に臥すと雖も、なお安楽なり」と申されます。これは、「もし、様々な苦しみから逃れる為には、知足の教えを思い出せ。足ることを知る人は、地面で寝るような暮らしをしていても、安楽なのである。足ることを知らない人は、豪華な家で暮らしていても、まだ満足できないでいる。足ることを知らない者は、裕福であっても心が貧しく、足ることを知る者は、貧しくても心は豊かである」という意味であります。
     
     人間の欲望というものは、止めどなく増えていくもので、“一つ叶えば二つ欲しい。二つ叶えば三つ欲しい”というように、これで十分とは思えないのです。かつての自分を取り戻せば、虚しさが無くなるかといえばそうではない。また同じように、他の何かを求めてしまうのではないでしょうか。どんなに満たされていても、空虚さはついて回り、一つ幸せを掴むと、すぐに次の幸せを求めてしまう。
     
     しかし、これは“我慢する”ということではなく、“自分がいま手にしている幸せに気づく”ということ。つまり、幸せを手にしていると“思うこと”なのです。
     虚しさを感じた時だけでなく、悩んだ時に言う“魔法の言葉”があります。それは、“まっ、いいか”です。この言葉を声に出せば気が楽になり、“私は何を悩んでたんだろう”と、前向きの気持ちになれるのです。幸せか幸せでないか、それは「私は幸せだ」と思えるかどうかで決まるのです。
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