必ずやってくるその時

2018.08.12 Sunday 01:32
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     今年の夏は、今まで以上に暑く、連日37度を超える気温に、熱中症で倒れる方も多くいらっしゃったようです。いつも梅雨が明けたら鳴く蝉も、暑すぎて蝉の鳴き声が聞こえてきませんでした。そんな中、先日西日本を中心に、豪雨災害が起こりました。雨が一気に降り、川が増水し、堤防が決壊し、みるみるうちに、水が家の2階にまで達する程の量でした。今回の被害で、死者行方不明者は231人で、その5割が屋内で被災されたと報告されています。今回特にひどかったのが、倉敷真備地区です。

     

     阪神淡路大震災以来、災害の意識が高まり、現在全国に、災害時の被害予測地図、即ちハザードマップが作成され、これを利用することによって災害発生時には、迅速・的確に避難することができるようになっています。

     

     倉敷真備地区のハザードマップを見ると、今回水に浸かってしまった所と、ほぼ同じ場所が水没すると予測されていました。もし、この事を重要視し、前もって避難できておれば、少なくとも死傷者の数は減っていたことでしょう。“大雨が降れば、確実にこうなる”と予測されていたにもかかわらず、こういう結果になったのはなぜでしょう。別に避難しなかったことを批判しているのではありません。ただ、誰もがこのことを批判することはできないのです。

     

     確実にこうなるとわかっていても、そうできないのが、私達愚かな人間です。ちょうど今の時期、夏休みで、子ども達は夏休みの宿題をしなければなりません。子どもの頃、休みが終るギリギリになって慌てて宿題を終らせた経験は、誰しもあると思います。確実に期限があり、やらなければならないことがわかっているのに、後回しにしてしまって、あとで後悔します。

     

     私達はこの世に生まれた以上、確実に死を迎えます。これはお釈迦様の悟られた“縁起”です。私達が死ぬのは、この世に生まれたから。ですから、“生”と“死”は、単独ではありえません。それなのに、私達は“いつまでも元気で生きていたい”と“生”ばかりを肯定し、“病気になりたくない。年とりたくない。死にたくない”と、“死”を嫌ったり否定して見ないようにしているのです。

     

     法然上人は、この世でお念仏を称えたなら、必ず極楽へ生まれさせてもらえるとおっしゃいます。いずれは確実にやってくる死を考えず、今、生に執着して好き勝手するのではなく、私達は、しっかり将来を見据えて、どっしりとした揺るがぬ自分の信仰に従って、お念仏致しましょう。
     

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    半端ない、阿弥陀様の救い

    2018.07.21 Saturday 08:10
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       ロシアで、サッカーワールドカップが開催され、日本も決勝トーナメントに残りました。その中でも、特に今回話題となったのが、
      大迫選手です。日本のサポーター席で、「大迫、半端ないって!」と書かれた旗を持って応援する様子がテレビなどで映されました。

       

       これは、日本代表の大迫選手が鹿児島城西高校の選手として、全国大会に出場しプレーした際、相手の滝川第二高校の主将、中西隆裕選手が試合後、ロッカールームで悔し涙を流しながら、「大迫、半端ないって!後ろ向きのボールめっちゃトラップするもん。あんなんできひんやん、普通!!」と、大迫選手を絶賛していた時の発言が、注目を浴びたものです。普通、なかなか他の人にはできないことも、いとも簡単にやってのけてしまうと、周りの者は「半端ない!」となる。

       

       今回のワールドカップでは、いろんな要因によって、大会前の日本代表の下馬評は最悪の一言であり、前大会以上に惨めな結果に終わる雰囲気が蔓延していました。その下馬評を、最初の試合で吹き飛ばしてくれたのが、大迫選手だったのです。結果、コロンビアに2−1で勝利しました。

       

       法然上人が世にでられ、浄土宗を開宗された時代というのは、世に末法の時代と言われた最悪の時代です。仏教では、お釈迦様が入滅されて以後、正法の時代(=悟りを開く者がいる時代)、像法の時代(=悟りを開く者は居ないが、修行する者と仏の教えがある時代)、末法の時代(=悟りを開く者も、修行する者もない時代)に分けられるが、末法の時代は仏教が機能せず、世の中が混乱するとされていました。そんな時代の民衆は、自分たちが救われる道はないと実感し、絶望の淵に立たされていたのである。しかし、そこに現れたのが、浄土宗の宗祖、法然上人なのです。

       

       法然上人は、それまでの仏教の考え方を大きく変え、末法の世にいる罪悪生死の凡夫、愚かな私たちが救われる道、それは念仏しかないと力説され、浄土宗を開かれたのであります。お寺や塔を建てたり、仏像を造ったり、多額の寄進をしたり、難しい修行や難しい学問をすることなく、お念仏を称えるだけで救われるということを、説いてくださったのであります。

       

       「法然上人、半端ないって!」

       

       阿弥陀様の救いは、私たちに「それがどんな悪人であってもめっちゃ救うもん。あんなんできひんやん、普通!!」と、いかなる悪人であっても、必ず救われるというのですから、「阿弥陀様、半端ないって!」。 今までの常識を覆した阿弥陀様の救いを私達にお示し下さった法然上人のみ教えを信じて、私たちはお念仏をお唱えしましょう。
       

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      他人の過ちと自分の過ち

      2018.06.03 Sunday 08:40
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         先日、関東の大学と関西の大学の間で行われたアメリカンフットボールの試合にて、大変大きな問題となるプレーがありました。  この問題のプレーは、5月6日に行われた日大と関学大との定期戦で起きました。日大の守備選手が、プレーが終了したにもかかわらず、関学大のQBの背後からタックルするなど、悪質な反則行為が3度あり、退場処分となったのもであります。この時の反則行為は、言うまでも無く問題ではありますが、それよりも大問題となっているのは、その後の日大側の態度であります。

         

          そんな中、反則行為を行った選手が、自ら顔出しの上、謝罪会見をされたのです。覚悟と言っても良いでしょう。彼の潔さ、話す内容や話し方などを見ると、真実を語っていると、誰もが感じたことでしょう。それに対し、翌日行われた監督コーチの会見は、真実を語ろうとしない、自分たちの保身の為の会見のように映りました。

         

          確かに彼の行った行為は許されるものではありません。しかし、今は、怪我をさせられた相手の関学大側でさえ、加害者の事を擁護する発言をされております。彼にすれば監督やコーチに言われたことを、そのまま実行したにすぎないわけですが、彼は会見の中で「今、監督らに伝えたいことはあるか?」という記者の質問に、彼は「いくら監督、コーチからの指示があったとはいえ、ぼくがやってしまったことは変わらないと思うので、それを反省しています。なので、監督、コーチに対してぼくがどうこういうことではないのかなと思います」また、「少し考えれば自分のやったことは間違っていると前もって判断できたと思う。もっと意志を強く持つことが…」と語りました。

         

         お釈迦様は、「他人の過ちやしたこと、しなかったことなど、見る必要はない。自分を観るべきだ。なにをしているか、なにをしていないのか」と仰います。
         

        「あの人は間違っている」「その人はおかしい」と私達は他人の欠点や過ちばかり見ようとします。自分を直そうとせず、いつも他人を直そうとします。これは、他人の過失を指摘することで、「自分は正しい」と思いたいからなのです。加害選手が、「追い詰められていた、やらない選択肢はなかった」と語りながら、監督やコーチに対して責めたり、自分の責任逃れをすることなく、やってしまった自分の過ちについて猛省されていた彼の姿は、まさにお釈迦様の言葉通りで、彼の処罰も情状酌量されるでしょうし、彼も一歩ずつ前進することができることでしょう。

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        揺るぎない信念

        2018.05.12 Saturday 16:31
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           いよいよ暖かくなり、真夏のような日もある季節になりました。

           プロ野球も始まり、アメリカメジャーリーグでも、日本人選手が活躍しております。中でも、アメリカの野球ファンの心を鷲づかみにしたのが、元日本ハムファイターズの大谷翔平選手です。

           

           開幕戦で、いきなり初打席初球初安打。初登板初勝利。3試合連続本塁打など、最高のスタートを切りました。

           

           大谷選手と言えば、“二刀流”で有名ですが、当初日本でも、賛否両論でした。“日本プロ野球をなめるな”という辛口コメントをした評論家もいました。しかし、その評論家もその後の活躍を見て翻意。二刀流を続けることを勧めています。

           

            大谷選手は、高校時代に目標シートというのを作成しています。シートの真ん中に、高い目標を書き、それを達成するための要素や、その要素を達成するための、具体的な項目を書いていくというものです。自分の夢を叶えるために何が必要かが明確になり、あとはそれを実行していくだけ。

           

            彼が素晴らしいのは、漠然と夢を掲げるのではなく、実際にそれに向かって努力を重ねているということです。自分の計画通り課題に向き合い、チャレンジしてきたからこそ、揺るぎない自信となっているのでしょう。昔から、練習は嘘をつかないと言いますが、彼の自信ある姿がまた、ファン達をワクワクさせるのでしょう。

           

            法然上人は、極楽往生には三心具足は重要と仰います。三心の中の深心。この深心には二つあり、信機と信法といいます。信機とは、機を信じる。自分は罪悪生死の凡夫である愚かな存在であり、自分の力では救われないと信じること。信法とは、そんな愚かな私達が、阿弥陀仏の本願にすがり、お念仏によって救われるということを信じることです。

           

            法然上人は、師である善導大師の「一心専念弥陀名号 行住坐臥 不問時節 久近念々 不捨者是名 正定之業 順彼仏願故」の言葉に遇い、凡夫である私達が救われるのは、この教えしかないという揺るぎない確固たる信心を獲得されたのであります。

           

            私達は凡夫であるから、自分で決めたことすら継続していくことは難しい。それは、自身の信心も同じで、すぐに揺らいでしまいます。大谷選手の目標シートのように、極楽浄土に往生するという目標を掲げ、そのために必要なお念仏や信心という要素、その要素を達成するために、自身は罪悪生死の凡夫であり、阿弥陀仏にすがるしかないという信機信法の心で、お念仏をお唱え致ししましょう。
           

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          おリンは鳴らしてはいけない?

          2018.04.06 Friday 20:45
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             今年は、氷点下になるような、本当に寒い毎日が続きましたが、一気に暖かくなってまいりました。桜も例年より早く満開を迎え、いよいよ新年度が始まりました。

             

             この春、受験に合格したり就職が決って、その事をご先祖様に報告いたします。お線香をあげ、そして「チーン。チーン」と、おリンを鳴らし合掌します。これは、どのご家庭でもよく見られる光景です。

             

             さて、最近テレビ等で「実はこれ、間違いです」のような番組がよく放送されています。先日も、「この差ってなんですか?」という番組で、「お墓参りや仏壇でのしきたりの差」を解説しておりました。その中で、お墓や仏壇では、“毒のあるお花やトゲのあるお花は供えてはいけない”とか、“仏壇の前で、おリンを鳴らしてはいけない”とか、“お線香はロウソクの火でつける”などと紹介されておりました。ところが、しきたりやお作法を教えるプロの方が、他の番組で「お線香は、ロウソクの火からつけるのは、もらい火と言って良くない」と紹介されておりました。こうなると、一般の方々は、何が正解なのか迷ってしまいます。

             

              そもそも、作法とかしきたりとかを決めているのは、私達人間です。仏様や神様が決めたものではありません。これらは、人間側から見たときに、失礼なのかどうか。良いのか悪いのかということを、人間側が決めただけのことなのです。ですから、お線香の付け方に違いができてしまうのです。要は、捉え方の問題です。亡くなった方が、毒やトゲのあるお花が好きな方であれば、お供えして頂いても良いのです。但し、お仏壇の中心には阿弥陀様がお祀りしてあるので、どうしてもお供えしたいときは、別の場所に写真などを飾り、その前にお供えすればよいのです。

             お箸を持つ時も、正しい持ち方などと紹介されますが、なぜそれが正しいと言えるのか。正しいという基準はどこにあるのか。おそらく、見た目が綺麗であることで、正しいとされるのではないでしょうか。おリンの事も、“本来お経を読むときに鳴らすものであるから、無闇矢鱈に鳴らしてはいけない”ということなのですが、決して鳴らしてはいけないのではなく、お経を読まないのであれば、“別に鳴らさなくてよい”ということなのです。

             

              確かに、失礼に当たるから、これはしてはいけないということもあるかも知れませんが、仏事では、「〜してはいけない」ではなく、「〜したほうが良い」「〜しない方が良い」と考えて頂ければと思います。しきたりやお作法も大事ですが、その前に、最も大切な事は、何よりお念仏をお唱えすることなのです。私達は凡夫なのですから、すぐ忘れたり間違ったり致します。お作法を間違ったり、正しくなかったり、綺麗でなくても、お念仏だけは、しっかりとお唱えして頂ければと思います。
             

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            羽生選手から学んだこと

            2018.03.14 Wednesday 01:21
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               先日、韓国の平昌で冬季オリンピックが行われ、無事閉幕いたしました。時差がほとんど無い為、連日リアルタイムで放送される日本人選手の活躍に、心躍らされたことでしょう。メダルの数も過去最高を記録しました。スノーボード、フィギュアスケート、スピードスケート、カーリングと、それぞれの競技で、素晴らしい活躍を見せてくれました。

               

               その中でも、一番注目されたのが、男子フィギュアスケートでしょう。特に昨年靱帯損傷という大怪我から復帰を果たした羽生結弦選手に、日本中が注目しました。怪我をしてから二ヶ月間、公式試合には出られず、どこまでの演技ができるのか心配されました。しかし、人々の心配をよそに、最高の演技を見せ、見事金メダルを獲得されました。正直、あそこまでの演技ができるとは、私も含め、多くの方々も予想をしていなかったことでしょう。本当にメンタルが強い方なのでしょう。

               

                オリンピックチャンピオンになった後のメディアのインタビューで、彼は「自分の今の力を分析し、これが今のベストの演技と判断しました」と語っておられました。 怪我をしていなければ、もっと難易度の高いものをプログラムに組み込んでいたでしょうが、それを、「何が今のベストか」ということを冷静な目で分析できたのです。

               

                お釈迦様の教えに「八正道」というのがあります。これは、八つの正しい道を実践することによって悟りに到るというものです。その中で、正見は、正しく見極める。正思は、正しく考える。正業は、正しい行い。正精進は、正しい努力ということであります。

               

                羽生選手は、今の自分を正しく見極め、考え、今何をなすべきか、そして、無理せず、正しく努力されたから、金メダルを獲得されたのです。その点が、彼の凄さでもあると言えます。

               

                期待に応えられなかった選手が後のインタビューで、「申訳ありません」と謝っている姿を見かけますが、謝る必要は全くないのです。周りの人の過剰な期待、それに応えなければならないと自分を追い込んだため、冷静な判断ができず、気負いすぎてしまった結果なのではないでしょうか。

               

                ともすれば私達はつい、より以上のものを求めがちですが、常に今の自分を分析し、背伸びをせず、自分に見合った生き方をしていくことが大切です。本来仏教は、煩悩を滅し、悟りを目指すべきなのでしょうが、私達は悟ることなど到底できない愚かな凡夫です。自分は「愚かな凡夫である」と冷静に分析し、ひたすら日々お念仏をお唱えして、極楽往生を願いましょう。

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              お念仏を軸とする生活

              2018.02.06 Tuesday 07:38
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                  新年を迎え、正月三が日も特に変わりなく過ごした直後、悲しいニュースが流れました。中日、阪神、楽天の元監督で、楽天球団副会長の星野仙一さんが、お亡くなりになられました。70歳でした。息を引き取る直前まで、「コーチ会議に出られるかな」と言っておられたそうですが、最後の最後まで、野球に情熱を燃やし、野球に一生を捧げた方でした。

                 

                 阪神で優勝したときは、「このタテジマで、この甲子園で、みんなの前で胴上げされたかった」と喜びを語った星野さん。また、東日本大震災のあと、楽天で見事優勝を果たした時は、本当にドラマを見ているように感動したことを覚えています。「被災者のみなさんに、これだけ勇気を与えてくれた選手、誉めてやって下さい!」と、選手への労いの言葉。星野さんは、ほんとうに野球が好きなんだなぁと感じられた方も多いと思います。ただ、それだけに妥協を許さない方でありました。

                 

                 闘将と呼ばれるように、時には鉄拳が飛ぶことも多かったようです。しかし、それも野球を愛するが故、選手のことを思えばこそのことでした。「野球は仕事です。その仕事に対して闘争心がないというのは、生活権を放棄していると僕は受け取ります」「僕は苦しんでいるうちはチャンスをあげます。逃げるやつにはチャンスをあげません」。星野さんの口から出る言葉をみれば、いかに野球を大切にされているかがよくわかります。すべては、「野球の為になるのなら」なのです。

                 

                 宗祖法然上人は、専修念仏を説かれました。お念仏を唱えることが最重要であり、最優先であります。様々な方から、いろんな質問をされておりますが、全てに於てお念仏が最優先に考えておられ、一貫しております。お念仏を唱えることを軸とし、お念仏の妨げとなることは避けなさいとおっしゃいます。「もし、一人で念佛を申されないのであれば、妻をめとって申せばよいし、妻をめとって申されないのであれば、一人でもうせばよい」と、結婚するかしないかが問題なのではなく、お念仏を申せるか申せないかが問題なのです。

                 

                 法然上人が法難で流刑が決ったときでも、「われ、たとい死刑に行わるとも、このこと(念仏)言わずばあるべからず」とおっしゃったほどであります。この、命をかけて私達に残して下さったお念仏のみ教えを、私達は大切にしなければなりません。星野さんが、野球の発展の為になるのならと、大切にされたように、私達もお念佛を軸とし、最優先にお念仏を唱えられるような日々の暮らしをしていかねばならないのです。
                 

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                気づけばいつもそばに居る

                2018.01.04 Thursday 15:32
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                   年頭にあたり、謹んで新年のお慶びを申し上げます。また旧年中は格別のご高配を賜り、衷心より厚くお礼申し上げます。本年も何卒倍旧のご厚誼を頂きますようお願い申し上げます。

                   

                    昨年年末、あるドラマに見入ってしまいました。日曜日に放送されていた『陸王』です。ご覧になられた方も多いのではないでしょうか。このドラマは、100年続く老舗の足袋屋である「こはぜ屋」が、会社の存続をかけて「陸王」というランニングシューズの開発に挑むという物語です。最終回の優勝インタビューで、陸王を履いた茂木という選手が、「苦しくて、何度も諦めかけた時、この陸王が思い出させてくれたんです。走ることが好きなんだと。きっと、このシューズに込められた作り手さん達の思いが、そう感じさせてくれたんだと思います」と語ります。

                   

                   彼は、2年前のレースで足に怪我をし、復帰は難しいとされました。そのことがきっかけで、シューズのメーカーもサポートをしなくなり、いろんな人が彼から離れて行ったのです。しかし、怪我が治り、再びシューズメーカーがサポートをしたいと持ちかけたとき、それを彼は断り、陸王を選んだのです。その時、彼は「怪我をしてからこの2年間、都合良く離れていく連中を何人も見てきました。良いときは擦り寄って来るのに、悪くなるとあっという間に居なくなる。そしてレースに復帰したとたん、また手のひらを返したように近づいてくる」と。

                   

                   そして、「シューズの性能の差はわずかでも、込められた想いは雲泥の差です。こはぜ屋さんは、俺と一緒に走ってくれます。良いときも悪いときも。他のシューズを履いている時だって。気付けばいつも隣で走ってくれていました。」と言い、結局最後に選んだのは、こはぜ屋の“陸王”だったのです。茂木選手が今までを振り返ってみて、常に自分を見守ってくれていた人たちの存在に気づいたとき、その思いを受け取って最高の走りを見せたのでした。

                   

                   私たちは気づいていないかも知れませんが、阿弥陀様は常に私たちの事を見守り、私たちの思いを受け取り、救ってくださる仏様なのです。それを間違いの無い事だと、他の仏様や菩薩様も証明してくださっている。まるで、陸王の為に力を貸してくれた銀行員やシューズ販売の方や周りの方々のように。

                   

                   そんな力強い味方が、私たちにはついているのです。陸王を信じて、ただ走ることに集中し、力を振り絞って一生懸命走った茂木選手のように、私たちは阿弥陀様の救いを信じ、ただひたすら極楽に往生したいという思いで、お念仏を一生懸命お唱え頂くことが、何より阿弥陀様の願いに報いる唯一の方法なのです。

                   今年一年、皆様が平穏に、そして信仰の生活を送られることを念じております。

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                  後ろ向きの人生にさよなら

                  2017.12.18 Monday 03:02
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                     師走となり、今年もあとわずか。この一年を振り返り、色々なことを思い出し、喜び、反省しておられることだと思います。

                     

                     朝日放送で、夜遅くに放送されている「探偵ナイトスクープ」という番組をご存じでしょうか。この番組は、視聴者から寄せられた、長年悩んできた事や不思議に思うこと、謎や疑問をタレントが探偵としてそれらを解決していくという番組です。以前、42才の独身女性からの依頼がありました。彼女は子供の頃、イジメが原因で高校進学できず、自殺も考えたりもしたが、兄の「生きて欲しい」という言葉で生きることを選び、その後引きこもりになったそうです。

                     

                     暗かったことから、水や牛乳をかけられたりといったイジメが始まったようですが、両親は仲が悪く喧嘩が絶えず、学校でも家でも心が安まる所がなかったのです。引きこもって以来、ずっと後ろ向きだった彼女の人生。彼女は勇気を出して、自分の後ろ向きの人生から決別するために、辛い気持ちを乗り越えようと「外出して、思いっきり後ろ向きに歩きたい。そして、前を向いて生きていくきっかけにしたい」というのが、この番組での彼女の依頼でした。

                     

                     探偵と一緒に、家から海まで10キロの行程を、ずっと後ろ向きで歩いて行きます。途中、いろんな方々と出会い、それぞれアドバイスをくださる。日頃、外に出ることもなく、当然体力もない彼女。しばらくすると、足腰に痛みが走り、歩くことも辛くなってきます。そこで、薬局で湿布薬を買い、見ず知らずの人が、湿布を貼るのを手伝ってくれます。

                     

                     そこで探偵が聞きます。「いま、何がしたい?」と。すると彼女は「前を向いて歩きたい。後ろ向きはしんどい」と答えます。  やっとのことで海に着いた頃には真っ暗でした。しかし彼女は「真っ暗だけど、海はキラキラしている。自分の命が自分に伝わってくる」と言います。

                     

                     私たちにとって幸せとは、明日があることです。明日があるのは当たり前ではありません。病気の人は、明日がないかもしれない。でも、明日があると思うからこそ、病気と闘えるのです。後悔していても済んだことは仕方が無い。後ろばかり気にする後ろ向きの人生ではなく、前を向いて、どんな未来が待っているのか、明日が来るのを楽しみに生きていく。

                     

                     依頼者の彼女は、この依頼を終えたとき、「後ろ向きで歩くより、前向きに歩いたほうが楽」という教訓を得ました。彼女にとってこれはゴールではなく、ここからがスタートなのです。
                     

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                    自分自身を省みること

                    2017.11.04 Saturday 01:17
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                       先日、安倍首相が任期満了まで1年を残し、衆議院を解散したことにより、衆議院選挙が行われました。結果は、与党自民党の圧勝に終わり、与野党の逆転はならなかった。選挙前、数名の議員に関する報道で、ニュースやワイドショーを賑わせておりました。自分の秘書に対する暴言や、数々の失言、不倫疑惑など、おそらく選挙に影響が出るだろうと思われました。

                       

                       こういうニュースが報じられた議員は、落選することが多いようですが、今回当選された議員もおられます。Y議員は、元々民進党でありましたが、不倫疑惑報道により離党され、今回の選挙では無所属で出馬されました。

                       

                       彼女は、あの「保育園落ちた。日本死ね」という書き込みで話題になったことを、安倍首相に質問したり、野党という立場と女性目線から与党や安倍首相に真っ向から対決されていました。しかし、今回の報道により、本人は否定をされておりますが、与党やマスコミから追求され、問題視されています。もしこれが与党の議員が起こした問題であったならば、Y議員はもっと厳しい追及をしていたに違いありません。

                       

                       私たちは、メディア等を通して、殺人や様々な事件を目にし、罪を犯した人に対して、大きな怒りや憎しみを抱いて厳しい処分を求めます。しかし、だからといって、犯人を死刑にすることが正しいのでしょうか。

                       

                       仏教では、どんな極悪人であっても立ち直る可能性があると教えます。法然上人も、どんな悪人であっても、念仏すれば必ず往生すると説かれます。罪を犯した人は当然その償いをしなければなりません。しかし、罪を犯した者だけが本当に悪いのでしょうか。罪を犯さなければならない世の中にしたのは、誰でしょうか。もし自分がその人の親類であったり友人であったら、未然に防ぐことはできなかったのでしょうか。

                       

                       そもそも、罪を犯した人を批判したり非難する人は、聖人君子なのでしょうか。嘘をついたり人を傷つけたりしたことはないのでしょうか。あの人が悪い、社会が悪い、首相が悪いと批判ばかりする人は、「自分だけは悪くない」と思っているのでしょう。安倍首相を責め立てていたY議員も、責められる側に立ってしまいました。

                       

                       かつて、千人もの人を殺したアングリマーラは、釈尊と出会って、出家して悟ることができました。私たちは、人を責め立てるだけではなく、立ち直ることを望み、自身は自分を省みて、自分自身をよく観察する必要があるのです。
                       

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